あの時のあなた… これからのあなた…

本当のあなたを取り戻してうつ(鬱)とさよなら…

脳を司る本当の自分に気づけば必ず治ります

SOSの連絡を受けた時、そのご夫婦はとても危険な状態でした。

二人暮らしで、二人とも精神的に追い詰められ、閉鎖的な空間。

通院しても悪化の一途をたどっていた二人が、たった一カ月で苦しく真っ暗な闇の世界から希望の光を見出し、二人で一歩ずつ進みはじめました。

その経過を書きとめました。

 

私自身が鬱の経験者です。

私の場合は偶然が重なり、幸いにも復活することができました。

なぜ、復活できたのか。この原因と方法を自己分析して、同じ苦しみを味わっている方とお話しています。

初期段階であれば、その後の人生が大きく変わることになります。

 

 

ある日の朝、目覚めると奥さんからメールが届いていました。

午前3時過ぎに発信されていました。

「ん?なに!?」と思って開いたメールに驚きました。

最後にお会いした時の笑顔の記憶から2年余り。

突然、深夜のメール。

 

「夜中にすみません。主人にはナイショでメールしています。あなたは今も世の中を変えたいと思っていますか?いつでも私達のところに飛んでくるでと、前に言ってくれたけど、今でもそう思ってくれますか?私達は、もう生きて行く事に疲れています。身体も、心も、ズタズタです。明日、生きていられるだろうかと毎日思っています。命がすり減ってなくなってしまう前に、離婚するかもしれません。一人になったら、どちらも生きていられないのに!」

「実は、盗聴されているか、録音されているのではと、恐怖感でいっぱいです。一番相談したいことが、解決したとしても、笑えることではありません。母は、病院に殺されました。旦那さんも、そうだと確信しています。」

 

ご夫婦は、私の居住地から遠く離れた場所にお住まいです。

15年ほど前からの知り合いです。

いつもジョークがあって、とても明るい楽しいお二人です。

しばらく年賀状のやりとりだけのお付き合いが続きました。

2年ほど前に、久しぶりにお会いしました。

ご自宅にもお邪魔しました。

以前は夫婦ふたり暮らしだったのですが、奥さんのお母さんと三人暮らしをされていました。

離れて暮らしていたお母さんが同居のお兄さんご夫婦と折り合いが悪いことと、体調を崩しやすくなったことを心配して呼び寄せられたとのことでした。

こうした状況の中でも、みなさん楽しく振る舞われていました。

短い時間でしたが、四人で話も盛り上がり楽しい時間を過ごしました。

お腹を抱えて笑うほど、本当に楽しいひと時でした。

でも、私はその笑いに包まれたやりとりの中にちらほら見える闇を察知しました。

四人の楽しい会話の中に見えた闇の部分。

それは、ちょっとしたマイナス発言傾向や会話のキャッチボールを受け止める時の一瞬の表情などから感じ取れることです。

私はそのことを指摘することなく、楽しく時間を過ごしましたが、会話の中で「私は、世界の人々を愛したい。それが味方であっても敵であっても、世界に存在する闇を少しでも多く光に変えていきたい。」という内容のことを交えて話しました。

「私は、みなさんを愛しています。もしも、どうしても困ったことがあれば連絡をください。最善を尽くして助けます。必要があれば、すぐに飛んできます。」とお伝えしてお別れしました。

笑いに包まれた会話の中ですから、このとおりの表現ではなく実際はもっと砕けた話し方で三人を笑わせながら伝えました。

 

 

あの笑顔で話したお母さんが亡くなったの?

お腹を抱えて笑ってくれたあのお母さんが…

あれから2年で早すぎる死。

ショックでした。

そして、この異常を伝える内容のメール。いったい彼女たちに何が起きたのか。

動揺する気持ちをすみやかに整えて対応を準備しました。

 

私は返信を送りました。

いつも、あなたたちのことを思っていること。

いつでも、必要があれば飛んでいくこと。

旦那さんの様子の確認。

奥さんとだけ進めていくのが良いか、旦那さんと一緒に進めていくのが良いかの様子伺い。

夫婦の間にDVや隠す必要はないことを確認できたので、電話でお話する約束をしました。

これらのやりとりの間にも、不安定な内容のメールが奥さんから送られてきていました。

 

「二人の力では、絶対に太刀打ち出来ません。もう、組織的に動いて、隠蔽こうさくもしているはずです。この地域の人は、全て繋がっています。家族、親戚、友人、病院、全ての人が繋がっていることが、最近、わかりました…」

 

私は彼女らと電話で話す時間を約束しました。

スピーカーフォンでご夫婦と私の3人で話しました。

この時点では、奥さんの声は聞き取れないほど体調を崩していました。

奥さんは病院への強い不信感から通院もできない状態。

旦那さんは、精神科に通院していますが改善は見られず「もう二人ともダメだと思う。」と発言が出る状態です。

二人暮らしで、二人とも正常な状態ではなく、感情のコントロールは効かず、感情を激しくぶつけ合う二人の関係は追いつめられていました。

非常に危険です。

 

二人に、この困難な状態に至った経緯・経過を話してもらいました。

持ち前の明るさでお母さんと三人、楽しく暮らしていたご夫婦。

旦那さんとしては、義理のお母さんとの同居になりますが、やさしく理解があり、人のことを余り詮索したりしない人なので仲良くしていました。

きっと、奥さんとお母さんの方が実の母娘でケンカがあったくらいなことでしょう。

 

お母さんは、要介護3、身体障害者 心臓1級・腎臓1級、人工透析をされていて、認知症の症状が始まっていました。でも、体調がよほど悪い時以外はきちんと会話ができていました。

病院に対しては、お母さん自身も以前から対応に不信があったようです。ただし、信頼あるスタッフには心を開いていました。

体調不良をきっかけに入院して、その不信感が家族ともに大きく膨らんでいくことになります。

お母さんの抱える病状から、必要なケアはいろいろとあり、やってもらいたいことが具体的にあったようです。その中で、彼らも全てを求めることはしないようにしていましたが、最低限のことと判断することは譲れなかったようです。

それに対して、彼らから話を聞く限りでは、病院側の対応に地域性があるようで、医療ケアに対する意識と行われる内容が低く、やり方がシステム化されていないように理解しました。

ですから、ここに衝突が繰り返されていきます。

病院を変わってみますが、関係は上手くいかず同じようなことの繰り返しになります。

もう、この段階では、互いの立場が感情的な要素を多く含んで、専門性を要する医療という現場であっても、そのサービス自体にまで影響が生じていたようです。

彼らはきちんと物事を捉えて、彼らなりに譲歩をして、それでもやってもらいたい最低限のサービスに病院側の対応が及ばないことが我慢ならず、トラブルの繰り返しと苦しい思いの中にずっといることになります。

 

私は、彼らの話を聞き、思いを受け止めます。

真実を確認するジャッジはできません。

只々、彼らの立場と感情を理解します。

正しいとか、誤っているということではありません。

 

そんな彼らと病院との関係の中で事件は起きました。

お母さんが食事中に何かを喉に詰まらせたのです。

異変に気づいた奥さんはすぐに看護師を呼びます。

彼女らの話からは、「また、何か言いだしたの!?」という態度で対応され、看護師はゴム手袋をはめた後、口に手を入れてひっかかっていた物を取ろうとしましたが取れません。

この看護師の対応ではお母さんが死んでしまうと思った彼女は「誰か呼んできて!」と叫びます。

痰を吸引する時に使う直径5ミリ程度の細いチューブを吸引器にセットし、吸い取ろうとしましたが、チューブを落としたので、再度新しいのに付け替えるなど慌てていました。 彼女はお母さんの息がないのを確認して、「何してるの!息してないでしょ!早くして!」と何度も叫びます。

チューブによる吸引は諦め、2~3名の看護師とお母さんをベッドに乗せ替えました。

この段階では部屋に医師はまだ誰もいません。すでにかなりの時間が経過していました。 

お母さんはピクリとも動いていなかったので、彼女はお母さんが死んでしまったと思います。

しばらくして医師が到着。

お母さんが窒息してICUに運ばれた後、主治医から説明を受けました。

その場ではCTは見せてもらえず、「右脳にかなりの損傷がある。」「治っても麻痺は残る可能性が高い。最悪植物人間になる可能性がある。」「食事中に脳梗塞が発症して窒息した可能性と窒息により脳梗塞になった可能性がある。」また、窒息後の対応についても「カルテを見る限り問題はない。」との説明を受けました。

お母さんは、死亡する数時間前から血圧、心拍数、血中酸素濃度とも低くなり、死亡する前の24時間透析は中止してました。

 

亡くなる数時間前まで自立呼吸出来ていませんでしたが、彼女たちが手の甲を軽くたたいたり声をかけて励ましたりすると、呼吸回数が25回前後まで増えたそうです。

彼女らはお母さんが再び回復することを信じていましたが、彼女が電話をかけるためICUを出ているときに、息を荒げていたお母さんが急に静かになり、モニターの心拍数が45を表示した後0になり警報が表示されました。

そして、主治医がお母さんの死亡を確認しました。

 

死亡診断書には死亡の原因欄に

直接死因:「脳梗塞

直接死因の原因:「窒息」

影響を及ぼした傷病名等:「末期腎不全」

 

これが、彼女たちに起こった出来事です。

この医療現場の体質には地域性があるとのことです。

これは、彼女から連絡を受けた当初、正常でなくなっていた二人だけの閉鎖された空間に高いリスクを感じた私が、その地域の警察本部と連絡を取って、自宅訪問をしてもらい状況確認の協力を得た時に、担当してくださった警察本部の方から誠意ある対応の中で伺った話です。行政の福祉分野でなく警察に相談したのは、その日が休日で緊急性があったためです。理解ある対応に感謝でした。

 

彼女たちは、お母さんは病院に殺されたと思っています。

人を殺した罪を償わせたいと思っています。

その思いや思いの表し方に、夫婦二人の間でも差があり、その違いに対して彼女が夫を責め立てて、旦那さんも精神的に追いやられたという印象です。

 

これらの報告を受けるには、かなり大量の事実確認をペース配分しながら行いました。

できるだけ自分の心に起きている本当の感情を出せるように環境をつくり、感情とともに話してもらいました。

 

 

経緯・経過を伺った後は、体調管理の具体的な方法を伝えました。

体を休めて、必要な栄養を摂取する方法。

特に大切なことは、脳を休めること。

脳はその他の体の器官より休めることが難しい臓器です。

具体的な技術をもって休ませなければ、休むことなく考え続けてしまう臓器です。

たとえば、筋肉なら休ませないで負荷を掛け続ければ故障してしまいます。そのキャパを超えたなら尚更です。

脳も同じです。休まず負の感情で考え続ければ壊れます。キャパを超えたら危険です。

彼らは、悲しみと怒りの影響で、脳が壊れるまで考え続けた結果、不具合が起きたのです。

だから、考えることを止めて脳を休める方法を伝授して試みてもらっています。

それでも、考えてしまうことを繰り返しますが、身に付けた技術で考え過ぎることなく脳を休められるようになっています。

心に良いことを望み、そのために必要なことを楽しい気持ちで行うようにしています。

夫婦で衝突はあります。上手くいかないこともあります。

でも、その都度、技術をもって対処しています。

 

彼らは、こうした技術で心身衰弱、体調不良を乗り越えています。

次は、悲しみと憎しみの感情への対処です。

強い不安と不信感、被害妄想です。

実は、彼らと話しはじめた頃は、特に強い不信感と恐怖感に囚われていました。ですから、最初は彼ら自身のことを話すのはあえて避けました。

この世界の暴力の連鎖について話したのです。

誰しも、自分以外のことは客観視しやすいです。

彼らは、苦しい精神状態の中にあっても、世界で繰り返されている紛争・テロ行為・暴力による問題解決策については、関心と問題意識をもっていました。

 

世界からなくならない暴力の連鎖のメカニズム。

表面的にニュースなどから捉えているだけでは、「なぜ、暴力の連鎖を止められないのだろう?」「なぜ、人を幸せに導くための国家や宗教が暴力の応酬を繰り返すのか?」といった「良くないことなのに、なぜやるのだろう?」というレベルの思いかもしれません。

しかし、具体的な事例ではなくとも、想定される当事者を「自分がその立場に生きていたら!?」と僅かでも想像してみることができます。

まだ実際に暴力が発生していないのに相手から暴力を受けるかもしれないと考える想像の恐れ、実際に本人や大切な人が暴力を受けた場合の痛みや悲しみ、そこから発生する憎悪が考えられました。

話し合って考えた原因を大きく分けると三つ。

異なるそれぞれの正義。

暴力による憎悪。

属する組織との関係の優位性。

これら三つに、貧困問題や権力・利益などといった人の欲が絡んでいます。

 

これらのことを疲れた脳と体に配慮しながら話し合いました。

一歩踏み込んで想像した暴力の現場や、憎悪のコントロール・処理の困難さを想像しました。

そして、世界で起きている暴力の連鎖のメカニズムを自分たちに起きていることに置き換えて考えてみました。

理想を考えた場合、どうしたら暴力の連鎖が断ち切れるのか。

理想を考えると、強い悲しみと憎しみがあっても、その感情に従って暴力を起こしてはいけない。

理想を考えると、この強い悲しみと憎しみを捨てることができなければいけない。

また、この強い悲しみと憎しみからなる憎悪の処理が、もの凄く困難なことであることも再認識しました。

理想はどうしたらよいか確認し、その難しさを認識しました。

その上で、自分たちが本当に望むことは何なのか。

 

頭で考えることと、湧きあがる感情に違いがありました。

この段階で、答えは求めません。

すべてを認識して、自分の中にある事実を認めようと話し合いました。

 

また、これらを疲れた脳と体で考え、感情が起きていることも確認し合いました。

それは健康な状態より、悲しみと憎しみに影響されやすく、暴力は消えないし、苦しみも消えない、感情をコントロールする力が弱くなっているのです。

 

次は、疲れている自分の脳と体を客観的に見て、それらを司っている本当の自分の存在を意識してもらいました。

一般的な捉え方は、自分の脳で考えることが自分です。

しかし、ここではもう一歩踏み込んで、その脳も自分の道具として捉えます。例えるならPCです。

そのPCが使い過ぎて機能が低下しています。

そのPCを大切に使いながら、正常な状態に修復していくイメージです。

PCを使っているのが本当の自分です。

PCが脳です。

この例え話から、ゆっくりと本当の自分をイメージして向き合いはじめました。

この段階では、はっきりと理解したというより、そう感じることができはじめたという状態です。

 

ここから次第に、現状は本当の自分がもとめる感情だけではなく、ここに至るまでに起きた事象に対して自分たちの思考のパターンに従って反応・対応してきている。その結果が、今の精神状態や問題につながっていることを理解しはじめました。

目の前に起きる事象に反応する・対応する思考の癖は、自分たちにとって果たしてこのままでよいのだろうか…

加えて、疲れた脳で考えている思考も本来の自分ではない部分を多く含んでいることも…

 

あとは本人の疲れた脳と体の症状を必要なペースで改善しながら、丁寧に本来もとめる自分の意識をはっきりしていき、事実関係とそれに対処する自分に相応しい感情の在り方、対処の方法を見出していきました。

ここまで来ると向かうべき方向がお互いに見えてきました。

これが彼らのターニングポイントです。

すべてが未来に希望がもてる行為に変わりはじめました。

出口の見えない闇から抜け出した瞬間です。

 

この作業は、本人の脳を含めた身体機能の不具合な状態の違いによって、方法やペース配分が変わります。はじめは、不具合が生じている脳で考えるので、具体的な言動に問題も生じやすいです。

でも、もっとも大切なことは、本来の自分の存在に気づくことです。そして、不具合が生じている脳から起きる感情に影響されていることを理解することです。

 

私と彼らが行ったことは、ある意味24時間体制であり、その人の症状によって必要な対処を要することです。

2年前に、彼ら4人と楽しいひと時を過ごした時に伝えた「世界の人を愛する。」という心で臨まないと叶えられないことかもしれません。

知り合った人を何らかの理由で愛するというレベルではなく、この地球に生きる人類を愛するということかもしれません。

そして、責任ある方法と技術を要することです。

脳を含めその他の器官に具体的な疾患が生じている場合は、医療機関による正しい医療処置も必要です。

 

私は、この体験によって遠隔地であっても、今の通信手段があれば改善できるコミュニケーションが可能であることを実証できました。

この執筆時も、このご夫婦とは連絡を取り合い、お話をして必要なケアを丁寧に行っています。

私がこの話をみなさんに紹介することで、ひとりでも多くの人が、出口が見えない苦しい闇から脱け出せられて、未来に希望と納得がある幸せな人生に復活してもらえたらと願います。

 

 

彼らは、今、病院に復讐するかどうか迷っています。

しかし、どちらにしても、健康な心と体をとりもどさなければ、何もできないと気づいています。

ですから、今、回復に最善の努力をしています。

彼らが健康な心と体を取り戻した時に、新たに人生の選択が現れます。

それは、復讐か?

それとも、暴力の連鎖にならない別の解決方法か?

それは、この世界の縮図であり、これからの人類の挑戦と同じです。